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死について考える

死について考えました。自分が無になるということが怖くて考えました。その中で拝見したネット情報および自分なりの思考をメモとして残したいと思います。日々を普段通りに過ごしているとそれが当たり前となりますが、次の瞬間あっけなく死んでしまうということが実際にあり、そこら中で起こっているのです。

 

私の死への恐怖の本体は、自分が無くなるということです。これについては解決策は2つ。

 

1.死後の世界を信じる

死後の世界を体験した人はいません。したがって死後は未知ということから、楽観的に死後の世界や輪廻転生を信じることができます。ポジティブシンキングという点で、本当にそうだと思えれば、死の瞬間まで幸せに生きられると思います。この考えには一理ありますが、無に帰すという考えが私の根底にあるため自分を偽り切れずモヤモヤしてしまいました。これは一個人の見解で、私は宗教の自由を尊重する考えです。

 

2.無に帰す

科学の観点からこれが正しいのだと思います。要は捉え方で、調べたものの中からいくつか書いてみます。

・眠りに例える考え。毎日ねむったあとは意識を失い、また意識を取り戻して目覚める。生死も同じで意識も何も分からない暗闇から目覚め(生まれ)、眠る(死ぬ)ときにはまた意識も何もないところへ入っていく。つまり死ぬということは、眠りに入ったままになるということで、眠るということは毎日やっていること。誕生から死はそういう感じだというもの。

・瞑想に例える考え。静かな無の心になる瞑想は、死の感覚に近い。穏やかな心地なのだから、死もそのように恐れる必要がないというもの。

・大局的に捉える考え。地球ではこれまで無数の生死が繰り返されてきた。形あるものは死に、新しい命が生まれ、それもまた死んでいく。それが自然というもの。自然の一部である自分も当然そのサイクルに入っており、それがまさに自然なのだというもの。

 

どれも無に帰すという前提ながら、前記2つは未知を怖がる心理を、現実世界での疑似体験に置き換えることで受容しやすくしている点で特別。寺で瞑想をしたことがあるので、2番目の考えにはより共感できます。

3番目のものは、当然の流れなのだというふうに受容しやすくするという点で特別。この世の”すべて”そうなのだという観念。内容はおかしくないのでこれは素晴らしいけれど、それが当然なのだという思考の流れが洗脳チックでちょっと警戒心を生みそうになりました。言霊や神道といった自然に親しみ敬ってきた日本の風土から、私を含め納得しやすいかもしれません。

その3つはどれも相反しないため、それぞれに納得でき、私の中で死への恐怖はほぼ解決しました。ほぼ、というのは実際にその瞬間になったら怖いんだろうなとも思うからです。また調べている中で興味深かったのは、ある生命保険会社の資料にあった、「死が怖いか」というアンケートにおいて、中年以降は年齢層が上がるほど「怖くない」という割合が増えていくということです。やはり経験や思考変遷を経て許容や達観という考えになっていくからでしょうか。

まぁとりあえずこれでスッキリしたので、今日もぐっすり眠れそうです。おやすみなさい・・・。