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掌の小説 積読本追加

川端康成『掌の小説』を読みました。著者は128編の短編を書いていて、そのうち122編がこの一冊で読めます。636ページとそこまでではないものの、少し読んで満足してしまう私は読了後ひさしぶりの達成感を覚えました。あとがきによると著者は「私の歩みはまちがっていた」とこの短編集に含まれるものを否定したとのことですが、私には少しわかる気がします。方向性が違ったり、技法が変わったりして、後になってみると違和感や恥ずかしさが出るという意味のような気がするのです。ただ私がそうだというだけなのかもしれませんが。確かに同じ情景を複数の作品で繰り返していたり、もやもやするところがないとは思いませんが、それでも私が常に枕元に置いておく2冊目の本となりました。ストーリーをむやみに追わず、言葉遣いや心情が練りこまれた文体で届いてくる小さな作品に心落ち着くものがありますし、作者の苦労が思われますし、心の底をさらっていく感覚があります。

 

そして本を追加で買いました。川端康成舞姫』『美しい日本の私』『川端康成随筆集』。作品は最初の一冊だけで、残り二冊はノーベル文学賞受賞時の演説内容の本と、題名通りの随筆です。人物と作品は分離するのが私のスタンスですが、それでもこの人の作品のできる理由を知りたいと思い、そしてwikipediaだけでは不十分でした。当時の一般生活をYoutubeで見ていると、あまりにも今と違いすぎていて理解することは難しいと感じますが、ある程度まででも理解したい。

 

 

ネットが普及し世界がどんどん均質化していく中で、川端さんが生きた時代の日本人の心も薄まり、やがてほとんど残らなくなるのだろうかと考えます。現に今も、良し悪しは別として、欧米の個人主義等の価値観が急速に広まり均質化の途にあります。

 

ネットの普及の他に、生活が便利になったことも大きいと思います。以前の不自由な生活にこそ日本人の心が生きやすかったという部分もある気がするからです。昔から不自由な中に趣(おもむき)を見出したり、戦後の高度成長期には不自由な中で懸命に努力しました。それが頭打ちになり便利になりきった現代からは、不自由さの中で堅持していた精神が必要なくなり、他国の価値観が一方的に流入し影響を受け続けていると思うのです。

 

これまでの日本の心に、どこか閉鎖的な部分があり、無意識化で救いや出口を求めているところへ他国の開放的な価値観がちょうどよかった。方法(ネット)と時期(情勢が安定し便利になりきった時期)の二つが交わったのが現代なのだと思います。

 

ご高齢の方と話すと、日本は精神が他国と違う、という言葉を聞きます。それが失われることを嘆く方もいらっしゃれば、批判を避ける方もいらっしゃいます。私は、時代の中で変わっていくのは必然で、その時々に合わせてこれまでも変化してきたと思います。平安時代の心と昭和の心が同じなわけがないように、平成から令和、その先へとこれからもどんどん変わっていく。有名な話ですが、平安時代にも「最近の若者は」という内容が枕草子にあるとのことですし、奇妙な話になってしまいますが、明治時代の人を今の人とすべて入れ替えてしまうと、その精神ではやっていけないし、結局その置かれた時代の状態へと急速に変わるでしょう。

 

便利の流れはとまりませんが、今もし第三次大戦が起きて前の戦後と同じ荒廃した状況になり強制的に不自由になってしまったら、また当時と同じような心で復興していくんだろうなと思うのは、明らかに精神は環境に適応するかたちで変化し可逆であるということなのだと思います。