日々の雑感帖。小説は25pmにて公開しています。
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 晴れてはいながらも、周りの建物みながみな薄暗い影をおとす夕刻だった。

雨上がりの濁った水たまりに淡い赤を垂らした色があたりを包んでいた。

よくセールスマンが漂わせている種の、胡散臭いようでいてどこかキリッとした

雰囲気を持つ男は、煙突のように玄関が突き出した家屋を訪れる。

「あんたお偉いさんなんだってな」

 ぱっと見れば小汚い、この家屋の住人であろうもう一人の男が、

タバコをふかしながら喋るのが聞こえてくる。しかしそれきりだった。

もう話は終わってしまったのか、セールスマンがだんまりを決め込んで

いるだけなのか、今からではよく見えない。それからしばらく沈黙が流れ、

ここが潮時だとでもいうようにセールスマンは軽く頭を下げて

ひきあげていった。それと同じくして煙突のような玄関の扉は、

その家主の手により、がぎょん、と音を立てていささか

荒っぽく閉じられ、再びしじまの支配が広がっていくのが感じられた。




 その家の中にはさきほどの家屋の主である男と、もうひとり、

愛人であろうか、その歳にしては少し派手な衣服で着飾り、

しかし衣服はまったく違うのに男と同じ薄汚れた感じのする女が

歩き回っている。

「行くだけで金になる」

 男はそれだけ言ってどかりと腰を下ろす。

埃が軽く舞い上がる。女は歩く。

「そんな話があるもんかねぇ。あたしはさっきの奴も臭いと思うんよ。

篠木さんのツテだって言っても……ねぇ? 聞いてるの?」

「あぁ」 なかばめんどくさそうに男は答える。

軽く息を吸って、答える準備をする。

「お前は何かある度にぎゃーぎゃー言いやがって。

先立つもんがなけりゃどうしようもねぇだろ! 

そんくらいお前も分かってんだろうが!! 

………すまん、まぁ行くだけ行ってみてもいいじゃねぇか。

死ぬわけじゃあるまいし。それで金が手にはいりゃ文句はねぇだろ。

これで行きませんでした、じゃ篠木さんの顔も立たねぇしな」

 女は歩くのをやめていた。甘ったるい安物の香水の香も

流れるのをやめて、ただ留まっているようだった。




 次の日か、はたまた次の次の日か、二人は海沿いの道を炎天下、

ぶらぶらと歩いていた。特別に鞄をもっているわけでもなく、

帽子を被っているわけでもなかった。着の身着のまま

出かけてきたというより、地元の者が散歩をしているかのように、

見た者がいれば見えただろう。もっともこの暑さのなか散歩に出歩く

者はよほど特異だという証に、二人のほか誰も見あたりはしない。

堤防を越えて海から吹きつける風は妙に生暖かく、人工的な感覚を与えた。

二人はなにも会話せずに歩き通し、やっと目的の砂浜から伸びた防波堤に

たどり着いた。

「着いたな」

 ようやく男のほうがつぶやくのが聞こえた。

しかし女は話す気力もないようで、何も言わないでおこうと

思っているようだった。火に入れた石のごとく熱された防波堤の

コンクリートを踏みしめて突端に向かう。またしばらくかかるか、

そう思っているうちにいつの間にかたどり着いていた。

それにしてもこの暑さにはふらふらしてくる。海の中もきっと

同じに違いない。海もコンクリートも空気も服も、おれ以外はすべて暑い。

どこまで行っても暑さからは逃れられない。

何かの箱に体を無理やりぎゅうぎゅうと押し込まれているような

閉塞間がじわじわと男を蝕む。そいつはただ蝕むだけで、

食った分は決して返してくれない。少し気がまぎれてそいつの口が

止まってもすぐにむしゃむしゃとやりだす。

しかもこんなたぎるような暑さの中、どんどんと人が防波堤にやってくる。

どんどんとだ。押し寄せてくる。こいつらはやってくる。

こいつらはやめてはくれない。こいつらはむしゃむしゃと

そしゃくしだす。俺を蝕む、ぎゅうぎゅうと詰め込んで

決して返してはくれない。




 男はぽつんと、あのときのまま、防波堤に立っていた。

女の腕を持っていた。その先はついてはいない。幾分経ったか、

男は歩きだす。鮮紅色に塗りかわったコンクリートを踏みつけ、

数多の死体をよけて歩く。腕を本当に大事そうに、抱えたまま。