日々の雑感帖。小説は25pmにて公開しています。
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心中

 水音が辺りに響いた。初めのうちはその音を聞いているだけで、

僕は、なんと言っていいか、どんな表情をすればいいか分からず

立ちつくすだけだった。



 ここのところ、夕立が降ることが多い。いちどきにざあっと降って、

すると今度はすぐにキラキラした光が降ってくる。

そんな夕立が僕は好きだった。近所のおじさんは涼しくなってええのぉ、

と言うがそれよりもアスファルトから、木々から、舞い昇ってくる

独特の香りが、雨から逃れて誰もいない道いっぱいに広がる

感覚が好きだった。陽の光が水たまりに反射して目をちかちかさせた。

そんな中を歩いてみると、ふだん見慣れた景色がいつもと違って見える。

それでやつの姿も見間違いかと思った。



 久しぶりに中学校の同級生と会った。それまでそれなりに親しく

していたにもかかわらず、別の高校にわかれて以来、滅多なことでは

連絡も取り合わなかったが。当時と違い服も髪もちゃんと

高校生高校生していたが、中身の方はそのまま変わっていないらしかった。

そういうのがなんだかすごく嬉しかった。再会を喜んで近況を話し合い、

たわいもない話に花を咲かせていた。あの文化祭の劇で誰々がばかな

失敗をやったとか。誰々と誰々が付き合っていて結婚するんだとか。

いろいろ。思い出話や冗談を言い合っているだけで楽しかったのに。

・・・・・・楽しかったのに。なのにあいつは言い出したんだ。



「あれ金魚じゃね?」

 一瞬なんのことか分からずぽかんとしてしまった。

川も湖もない、なんの変哲もない住宅街でそんなことを言うもんだから、

誰かが祭りの金魚の入った袋でも持っているのかと思い、振り返って

みたがそれらしき人影は見つけられなかった。それでまた振り戻って

「どこに?」と言おうとしたときになってやっとあいつが指差して

いるのに気づいた。その先には水たまり。到底金魚が生きていけるとは

思えない。洗面器の水をぶちまけたくらいの水しかないのだ。



「まじかよ!」

 僕がそういうより早くあいつは駆け出していた。それも普通に

走っているのではない、なにかトテツモナクタイヘンナコトガ起こって

いるようなそんなすごい焦りを感じた。僕も急いで後を追う。

しかしたどり着いてみてもやっぱりただの水たまりだ。

誰かが残酷な悪ふざけで金魚を放したということもなく、水たまりは

ありのままに透明な水を湛えているだけだった。



 ほっとしてすぐ違和感。そして、やられた!とその時になって

やっと気づいた。こいつはおれをからかうためにこんな茶番を演じたのだ。

なかなかやってくれるじゃねぇか、さぞや満足しただろう、と横の

あいつの顔を見ると真顔で

「な? いただろ?」

 と言う。なぜかそれが微笑ましく感じられた。この期に及んで

まだやる気か、と。何いってやがる、そう笑いながら小突こうと

した次の瞬間なにが起こったか把握するのに数秒が必要だった。

いや把握したくなんてなかった。



 あいつは両手を広げて水たまりの水を掬いだしたのだ。じゃぶじゃぶ。

あんまり派手にやるから胸元がすっかり濡れてしまっている。

じゃぶじゃぶ。顔にかかっても気にするそぶりもない。じゃぶじゃぶ。

目を見開いて。じゃぶじゃぶ。

「何やってんだよ!!!」

 そう口にしてからすぐに後悔した。真剣なのだ。こいつは真剣なのだ。

でも、しかし、だからこそ、金魚を救いだそうとするこいつを僕の

手で救い出してやりたかった。肩を引っ張った。体を抱えて

引き剥がそうとした。その度にあいつは言うんだ。

「邪魔すんなよ。それとも何か? おまえは見捨てんのかよ!! おい!!」



 その鬼気迫る姿が怖かったんじゃない。可哀想だなんて

同情したんじゃない。これはこいつの現実なのだ。そう思ったんだ。

金魚のいない僕の現実と金魚のいるこいつの現実と、どちらが

正しいのかなんて誰が判断できるか。いやできない。僕にもできない。

現実とは個人個人の中でそうだと思ったことだ。それが個人間を

経て正しい正しくないというのもおかしな話だ。

誰の目も気にならなかった。だってこれはそういうことだもの。

両の手を広げて僕も金魚を救う手伝いをした。



 数日後また夕立があった。水たまりを見たとき、ふいに紅いものが

流れていくのが見えたと思った。