日々の雑感帖。小説は25pmにて公開しています。
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文学考

寝る前によく川端康成の『名人』を読む。この作品は実際に碁の対戦に立ち会った体験が下敷きになっていて、おそらくほとんどの部分が実体験なのだろうと思う。また三島由紀夫の『金閣寺』も実際の事件が元になっている。調べれば他にもそういう、実際の出来事を元にした小説を知らずに読んでいるのだと思う。

 

しかし、実際の出来事を書くのは文学ではなく作文ではないのか。実際にあったことなのか創作したものなのかということは、読み手が文を読み楽しむことには影響しないが、芸術作品としてみたときに、私には違和感がある。特に文豪と呼ばれる人でその作品が評価されている時には。

 

考えるに、私は単にいい文が読みたいのではなく、その人の創作の思念で創られた文を読みたいのだ。あぁ『名人』が創作であればどれだけすてきなことだったか。すべてを創作にするというのは難しいとしても、メインの下敷きにして書くのは避けたい。

遊びで書いているから放れる言葉なのかもしれない。

ゲーム考

ここ数か月、ゲームを一切やっていません。10年以上オンラインFPSやTPSを毎日のようにやり続けてきたのですが、ゲームをやることが無意識下での負担になっていることに気づき全てアンインストールしました。

 

ゲーム内のグループを自分で作っていた時期もあって、その場でしか知り合えなかった人達とVCやチャットで楽しく会話できたこと、グループのリーダーとしてメンバーといろいろ経験できたことが今も私の中で活きています。職場で初めてそのような立場になったときも、ある程度自信をもてました。また、様々な年齢・性別が一堂に会している中に居たため、それぞれの考えを許容できるようになりました。どれもそこでしか体験できなかったことです。

 

しかしゲームはゲームでストレスになることもあり、それなのに癖として毎日ログインしている変な自分がいました。またその間に現実時間を使っているということに気づいておらず、ゲームから離れてみると普段の生活がいかに良いものだったのか、あらためて感じます。その時間をこれまで飲まなかった酒を飲んだり、youtubeを見ることなんかに使っているのですが、それでも以前より充実しています。

 

PCの動作がおかしくなってきたため買い換えを検討しており、本当にゲームを卒業するなら発熱を抑えたものを買いたいのだけれど、万が一またやり始めたらどうしようと悩んでいる次第。

『キングダム』

アニメ『キングダム』を見ました。ストーリーがストレートすぎて私には合いませんでした。キャラクターは魅力的なのにもったいない、もっと練ればいいのにと偉そうに思ったり。

 

前回、私にも少しくらい支援金をくれーと書いたのですが、7日に出た緊急事態宣言で本当に大変な方がいらっしゃるため、やはり一部に厚く給付する方がいいなと思い直しました。それにしても人が亡くなっている状況でマスクを買い占めて高額転売している野郎だけは許さん。

 

読みかけの本を放置して、[爬虫類・両生類] All About|爬虫類・両生類・ヘビ・トカゲの飼い方を紹介を飼う予定もないのに、ほぉーと何度も同じページを読んでいたり、『家守奇譚』『名人』を何度目か分からないほど読み返しています。前者の本に関しては15年以上読んでいます。雰囲気に重きが置かれ文体に拘っていないため、文体の乱雑さが絶妙で、意図せず何十年も読める本になっていると思います。小説もどきを書くにはいろいろな本を読んだほうがいいのは明白なのだけれども、気に入った文を何度も何度も読み返すのが好きで困ります。私もいつかそんな文を書けるようになりたいものです。

第三十回文学フリマ東京 開催中止

出店予定でした文学フリマ新型コロナウイルスの影響で中止となりました。現状を考えると懸命なご判断だと思います。

 

かかっても治るからいいやということではなく、大勢が集まるイベント等へ行くそういう人を介して感染が拡大し、今もお年寄りが肺炎で亡くなっていっている状況を認識すべき。私も不要不急の外出を控えようと思います。

 

ただ20万円を低所得者だけに給付するという政府の案は、少し納得しにくい。給付金が税金であることを考えると、半額でもいいからそれ以外の人にも配ってもらわないと・・・さすがに0円では腑に落ちないなぁ。

 

世界中の感染者数・死亡者数増加のニュースを毎日みていると、ふとこれは現実なのだろうかと思う時があります。もし感染性の細菌兵器が撒かれればこんなものじゃすまないのだろうな。そうやって人類は終わるのかもしれない。

『ブシメシ!ごちそうさま』『武士の献立』

漫画『ブシメシ!ごちそうさま』を読みました。3冊中の完結編。江戸時代当時の食べ物が淡々と描かれているのを見ると、和食の良さをあらためて知る思いです。こういう味のある作品は何度も読めてしまうので困ります。最近だと毛色は違いますが、『BLAME!』を読み返したし、空気感がある作品はやはり良い。

 

映画『武士の献立』を見ました。当時の生活や雰囲気、心などを感じられました。昔からある和食は、長い間かけて作られてきたものだということを実感させられました。単なる料理についての映画ではなく、仇とか、年上の妻だったり、周りからの視線だったり、当時の秩序だったり、人情を掘り下げ汲み取っている点も素晴らしいと思いました。

 

これまで料理する際、揚げたり、炒めたりが多かったのですが、ふと、ほうれん草のおひたしを作ってみると感動で声がでてしまいました。子どもの頃は和食がそんなに美味しいとは思えず、青年期になっても洋食が美味しく感じられました。しかし今では原点回帰というか、和食のよさをあらためて感じ始めました。単純な美味しさという点では、どんなものでもずっと食べているとよさをだんだん感じなくなってきて、和食をずっと食べているときに揚げ物を食べたり、その逆だったりするとその変化に特別おいしく感じられるのは当然ですが、和食は続いても心が落ち着くというのが他の料理と違う気がします。そんなこともあり、最近は和食に関する作品や知識に興味が出てきています。

第三十回文学フリマ東京

2020年5月6日に第三十回文学フリマ東京に参加します。

前回の時に、後日委託販売するかもしれないと言いながら結局できなかったという後悔があるため、今回はきっぱり後日の委託販売はしない方針としたいと思います。

いま公開しているものの中からいくつか選んで薄い冊子を作るのですが、一つくらい新しく書きたい。

 

死について考える

死について考えました。自分が無になるということが怖くて考えました。その中で拝見したネット情報および自分なりの思考をメモとして残したいと思います。日々を普段通りに過ごしているとそれが当たり前となりますが、次の瞬間あっけなく死んでしまうということが実際にあり、そこら中で起こっているのです。

 

私の死への恐怖の本体は、自分が無くなるということです。これについては解決策は2つ。

 

1.死後の世界を信じる

死後の世界を体験した人はいません。したがって死後は未知ということから、楽観的に死後の世界や輪廻転生を信じることができます。ポジティブシンキングという点で、本当にそうだと思えれば、死の瞬間まで幸せに生きられると思います。この考えには一理ありますが、無に帰すという考えが私の根底にあるため自分を偽り切れずモヤモヤしてしまいました。これは一個人の見解で、私は宗教の自由を尊重する考えです。

 

2.無に帰す

科学の観点からこれが正しいのだと思います。要は捉え方で、調べたものの中からいくつか書いてみます。

・眠りに例える考え。毎日ねむったあとは意識を失い、また意識を取り戻して目覚める。生死も同じで意識も何も分からない暗闇から目覚め(生まれ)、眠る(死ぬ)ときにはまた意識も何もないところへ入っていく。つまり死ぬということは、眠りに入ったままになるということで、眠るということは毎日やっていること。誕生から死はそういう感じだというもの。

・瞑想に例える考え。静かな無の心になる瞑想は、死の感覚に近い。穏やかな心地なのだから、死もそのように恐れる必要がないというもの。

・大局的に捉える考え。地球ではこれまで無数の生死が繰り返されてきた。形あるものは死に、新しい命が生まれ、それもまた死んでいく。それが自然というもの。自然の一部である自分も当然そのサイクルに入っており、それがまさに自然なのだというもの。

 

どれも無に帰すという前提ながら、前記2つは未知を怖がる心理を、現実世界での疑似体験に置き換えることで受容しやすくしている点で特別。寺で瞑想をしたことがあるので、2番目の考えにはより共感できます。

3番目のものは、当然の流れなのだというふうに受容しやすくするという点で特別。この世の”すべて”そうなのだという観念。内容はおかしくないのでこれは素晴らしいけれど、それが当然なのだという思考の流れが洗脳チックでちょっと警戒心を生みそうになりました。言霊や神道といった自然に親しみ敬ってきた日本の風土から、私を含め納得しやすいかもしれません。

その3つはどれも相反しないため、それぞれに納得でき、私の中で死への恐怖はほぼ解決しました。ほぼ、というのは実際にその瞬間になったら怖いんだろうなとも思うからです。また調べている中で興味深かったのは、ある生命保険会社の資料にあった、「死が怖いか」というアンケートにおいて、中年以降は年齢層が上がるほど「怖くない」という割合が増えていくということです。やはり経験や思考変遷を経て許容や達観という考えになっていくからでしょうか。

まぁとりあえずこれでスッキリしたので、今日もぐっすり眠れそうです。おやすみなさい・・・。

『世界の野菜を旅する』『男の作法』

玉村豊男さんのエッセイ『世界の野菜を旅する』を読みました。寝る前に本書を読むのが楽しみだったのにとうとう読み切ってしまい、2週目に突入する予定です。玉ねぎからキャベツ、ニンジン等々、それぞれの物語を玉村さんの文体で読めたのが幸せでした。日本料理で馴染みのナスやキュウリがインドの方から来たのだと知ってびっくりしたり、世界各地の意外な野菜事情が語られる様が楽しかったです。これを読んで以降、すべての成り立ちを考えてしまい、ここのアスファルトは以前は土で、電柱は明治ごろか、建物のコンクリートの発明から作っている会社の想像など、とりとめがなくなっています。

 

池波正太郎さんのエッセイ『男の作法』を読みました。今これをそのまま行うのは難しいけれども、考え方や根っこの部分は時が流れても変わらないんだなと感じ、参考になりました。また初版が出された1981年当時58歳だった著者自身も、若い世代がそのまま行うのは難しいだろうと記しており、書かれている内容は芯があり絶対の自信に満ちている中にそういう柔軟性も共存しているという点こそ、この人は素晴らしいと思いました。ただ自分の信念を押しつけるのではなく、著者のような人になりたいものです。さらに各場面での対応の仕方や見切り方など、経験積んでらっしゃるなという思いで読みました。

 

薄曇りの午後、川辺を歩くと寒風が吹いていました。無機質で寒々しい感じが寂しく、自分の居場所ではない気がして嫌いな類の雰囲気だったのですが、最近はそのままを受け入れるというか、それもいいなと思えるようになりました。感情の進化か退化か。

センセイの鞄

川上弘美センセイの鞄』を読んでいます。これはいい。短文が重なっても味があるのは、著者の言葉選びと拍子の取り方が心地いいから。そこから全く知らない著者の人柄を想像してしまうのはいきすぎか。

 

勝手に昔の作品かと思っていたら2004年初版で、あの頃に書かれたのかと思うと余計に郷愁を感じるのは、爺さんになってきた証拠。それもまた善し。